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東京六大学野球とは

東京六大学野球(以下、六大学)はどのようにして始まったのですか?
起源は明治36年に始まった早大対慶大の対抗戦、いわゆる早慶戦です。その後、大正3年に明大、6年に法大、10年に立大、そして14年に東大が加わり、現在のような六大学によるリーグ戦が行なわれるようになりました。
六大学の試合が最初に行なわれたのはいつですか?
初試合は大正14年9月20日の明大対立大1回戦です。この試合は7対1で明大が勝ちました。ちなみに初めて明治神宮野球場で六大学の試合が行なわれたのは大正15年10月24日、明大対法大1回戦でした。
六大学は第二次世界大戦の間も行なわれていたのですか?
昭和18年、第二次世界大戦の影響により文部省から試合禁止を命じられ、東京六大学野球連盟は解散することになりました。しかし終戦直後の昭和20年10月28日に六大学OB戦、11月18日には明治神宮野球場で全早慶戦を行い、野球復興の先鞭をつけました。六大学によるリーグ戦が再開されたのは終戦の翌年、昭和21年5月19日です。
六大学の対戦カードに何か決まりはありますか?
通常、開幕試合は前のシーズンの優勝校と最下位校が対戦します。また早慶戦はそのシーズンの最終週に組まれ、最終週に限り早慶戦の1試合のみとなります。
六大学の順位はどのようにして決められるのですか?
六大学のリーグ戦は、全カードどちらかが先に2勝するまで同じ対戦が続きます。よって土・日の対戦が1勝1敗になると、月曜に3回戦が行なわれることになります。2勝を挙げると勝ち点1が与えられ、最も勝ち点の多いチームが優勝。勝ち点が並んでいる場合は勝率で順位を決めます。勝率も同じ場合、優勝校の決定に限り決定戦が行なわれます。
六大学の背番号に何か決まりはありますか?
各校共通で監督の背番号は「30」、主将の背番号は「10」と決まっています。プロ野球で使われているような「0」や「00」は使えません。
六大学で優勝回数が一番多いのはどこですか?
法大が44回で最多です。以下早大43回、明大34回、慶大33回、立大12回と続き、東大だけはまだ優勝経験がありません。
六大学で一番多くホームランを打ったバッターは誰ですか?
慶大・高橋由伸選手(平成6~9年/巨人)の23本です。それまで29年間、22本の記録を持っていたのは法大・田淵幸一選手(昭和40~43年/元阪神・西武)でした。
六大学で一番多くヒットを打ったバッターは誰ですか?
明大・高田繁選手(昭和39~42年/元巨人)が記録した127本。ちみなに最多打点は早大・岡田彰布選手(昭和51~54年/元阪神・オリックス)の81打点です。
六大学で一番勝ち星の多いピッチャーは誰ですか?
法大・山中正竹投手(昭和41~44年/バルセロナ五輪日本代表監督)の48勝です。法大・江川卓投手(昭和49~52年/元巨人)は47勝でしたが、うち17勝が完封勝利という最多完封記録を持っています。
六大学で一番多く三振を奪ったピッチャーは誰ですか?
早大・和田毅投手(平成11~14年/MLB ボルチモア・オリオールズ)で476奪三振を記録しました。ちなみに一試合の最多奪三振は昭和29年春、明大・秋山登投手(元大洋・故人)が東大戦で記録した22奪三振です。
現役選手の主な通算記録を教えてください。
投手部門では早大・高梨雄平投手が10勝で勝利数トップ、明大・関谷亮太投手が91奪三振で奪三振数トップです。
打撃部門では明大・中嶋啓喜が46安打、6本塁打、32打点でいずれもトップに立っています。(平成25年春季リーグ戦開幕時点)