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皆さん、こんにちは。

4年の渡辺克真(4年、鶴丸)です。

 

私は、江塚諭(4年、掛川西)と鈴木健介(3年、早稲田実業)と3人で、6月21日~23日の3日間、岩手県の高田高等学校へ野球を通した復興支援へ行ってまいりました。

3日間という短い間でしたが、高田高校の選手達との関わりの中で、多くのことを伝え、そして文面には書き表せないほど多くのことを学ぶことができました。

 

 

『有縁』

 

私の大事にしている言葉の一つに上記の言葉があります。

私たちが早稲田大学に入学したのも何かの縁、野球部に入部したのも何かの縁、そして高田高校に行くことができたのも何かの縁だと思っています。

いろんな偶然や縁があって、繋がることができた人たちとの出会いは、無縁ではなく、『有縁』だったのです。

復興支援という機会を頂いて、高田高校野球部の皆さんと繋がることができた出会い『有縁』は今回だけで終わりというのではなく、今後も意地でも繋がっていきたいと思っていますし、一生の宝だと思っています。野球を通した繋がりは、どこに行っても、どんな環境に身をおいても、自分自身の大きな財産です。私たち自身この繋がりをこれからも大切にしていきたいと思います。もちろん、野球部としての復興支援は、これからも後輩たちに受け継いでいってほしいと思います。

 

最後になりますが、今回、復興支援の機会をくださった、早稲田ボランティアセンターの方々、受け入れてくださった高田高校野球部の関係者の方々、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

 

 

こんばんは。4年新人監督の冨永です。

 

今回、私は西竹惇(4年早大学院、内野手)と共に、福島県立勿来工業高校に2泊3日の復興支援に行ってきました。

 

現地に着き、福島の被災地に連れていってもらいました。私は1年半前に岩手の陸前高田や宮古に復興支援で行かせていただいたのですが、その時に見た光景と何も変わらず、雑草だけが成長したその姿に、改めて東北にもたらした震災の恐ろしさを体感しました。

夕方頃からは、高校のグランドにお邪魔して野球部の生徒たちと初めて顔を合わせました。外野には仮設校舎が建っており、満足に野球に取り組めない環境の中、必死にボールを追いかける高校生たちの姿を見て、自分たちが失っていた「初心」を思い返すことができました。

夜は、指導者の方々にお食事に連れていってもらい、熱い想いを聞かせてもらいました。また、勿来工業の監督の大町先生の自宅に宿泊させていただきました。大町先生の野球に対する情熱と、プライド、そして生徒を想う気持ちを聞いて、私もコーチとしてチームにもっと愛情を注がなければならないと思いました。

 

2日目も様々な技術指導をさせていただきました。私たちが話す言葉一つ一つを素直に聞き入れる高校生の姿が印象的でした。それだけ、勝ちたいという想いが強いのだと思います。その想いが強いというのも、今の高校3年生は、震災の年に高校に入学した生徒たちで、入学式もできず、入部も5月頃だったという辛い想いを経験したからだと思います。夜は、高校生と合宿所に泊まり、有意義な時間を過ごすことができました。

 

最終日は茨城県の高萩高校で練習試合を行いました。夏の甲子園予選前ということもあって仕上がっており、2連勝することができました。元気ハツラツとプレーする高校生の姿を見て、最後の大会にかける想いが伝わってきました。私たちも残り約3か月の現役生活ですが、東北の地で学んだことを胸に、リーグ戦優勝に向かって日々精進したいと思います。

 

最後に、この活動を支えてくださった大学関係者の皆様、また福島でお世話になった皆様方に、この場をお借りして感謝を申し上げます。この活動は、野球部に限らず、早稲田の後輩たちが継続していってほしいです。

 

東北の地がこの夏、最高の夏になりますように。ありがとうございました。

 

皆さんこんにちは。

4年の中野弘也です。

 

私は横山貴明と2人で福島県の小高工業高校に行ってきました。

現地の高校生は本当に元気ハツラツとプレーをしており、見習わなければならないと感じました。自分たちのグラウンドが使えず、思う存分練習ができない状況でも甲子園を目指して必死に練習している姿を見て、私たちの指導にも熱が入りました。大学で取り入れている基礎の練習や技術のことトレーニングメニューや考え方など幅広く指導しましたが、高校生の飲み込みの速さに驚きました。高校生の向上心は私たちにとって大きな刺激となりました。

 

私たちが泊まった場所は南相馬市でした。横山の実家がある浪江町もすぐ近くにあります。泊まったところは復興が進んでいるように感じましたが、やはり原子力発電所から20キロ圏内に入ると瓦礫が残っていたり、建物・道路が壊れていたりとまだ復興が進んでいませんでした。また小高工業高校の校舎も20キロ圏内にあり、野球部のグラウンドは草が生い茂っており、セカンドベース付近には当時避難のために使っていた車がそのまま放置されていました。このグラウンドが使えるようになるためには草を抜き、除染をしなければならないと聞き、多くのことを考えさせられました。

 

3日間という短い時間ではありましたが、非常に内容の濃い時間であり、様々なことを学ぶことができました。常に高校生たちと一緒に過ごし仲良くなっていたので、帰るときはどこかさみしい気持ちになりました。また行きたいと思います!これからもこのような活動を続けていきたいです。

 

 

(中野弘也/4年外野手/早稲田実業)